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「昭和だね」と同じように「平成だね」と言われるようになるのか??

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平成から令和になってしばらく経ちますが、まだまだ実感がわかない方が多いのではないでしょうか。書類の年号欄を見て「あ、そういえばもう令和だったな」と思い出すくらい。まだ平成のままになってる書類を見つけると面倒くさがりながら令和に直すといった感じです。

 

昭和から平成になったときも、馴染むのに数年はかかったように記憶しています。そして平成生まれの方が学生になり、社会人になり、やがて時代遅れなことを総称して「昭和」と揶揄されるようにもなりました。

 

多分、平成も同じように、これから生まれてくる世代が大人になる頃、今の世の中を揶揄して「平成」と呼ぶようになるのでしょう。

その頃には「昭和」という言葉も単に時代遅れという意味ではなく、私たちが今まで明治という時代に対して抱いていたのと似た意味に受け取られるようになるのだと思います。

 

令和はIT技術による大変革の時代になることが予想されますから、令和の世代にとって「平成」は、この変革に取り残されたモノの総称になるのかもしれません。

 

 

気になること

懸念されるのは、これからの大変革による恩恵を享受するためには、それなりにお金がかかるということです。

 

例えば一部都市圏の飲食店舗で導入が進んでいるUber(ウーバー)。

レストランやカフェのメニューを頼んだところまで配送してくれるサービスですが、天候や距離に応じて最低でも260円の配送費がかかります。スタバのコーヒーの配送をUberで頼むと、1杯400円のコーヒーが700円程度に値上がりする計算になります。低所得者層はこんなサービスを受け続けることはできません。

 

これから発達することが予想されるMaaS(マース)も、同様のことが懸念されます。

MaaSとういのは公共交通機関や自動運転車を、「移動するためのサービス」として一元的に捉え、一括決済するシステム。満足に利用するたには、それなりに高額な費用が必要になるのではないでしょうか?おそらく1ヶ月あたりの車のローンと維持費を足したくらいの金額にはなるでしょう。つまり、1ヶ月あたり5〜10万円程度。

 

所得格差が広がる中で、これらの変革はどんどん進んで行きます。そうすると、時代に取り残されるのは低所得者層。「平成」が単に変革に取り残されたモノを指す言葉ではなく、暗に低所得者層を指す言葉にならないとも限りません。

 

まとめ

こんなことを考えていると、日本が全体として貧しくなっても、

 

「自分だけは豊かになってやるぞ!」

 

と、闘志がわいてきます。これから面白い時代になるのですから、それを存分に楽しみたいものです。同じように考えている方は大勢いらっしゃることでしょう。

 

そうやって一人ひとりが豊かになり、やがて皆が豊かになり、一人ひとりもますます豊かになって行くことで、「平成」という言葉が持つ意味も変わってきます。

 

もはや国も会社もあてにできません。ですが、こんな状況をひっくり返した民族は歴史上多く存在します。例えばアメリカでは「開拓者」と呼ばれていますね。

 

結局のところ、「平成」が令和の時代にどう言われるようになるのかは、昭和や平成の世代の努力にかかっています

 

 

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